神頼み

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 この世に生を受けて約半世紀。決して裕福な家庭では無かったが生まれてこの方、飯にありつけなかった事は無い。又、身ぐるみも剥がされる事無く暑ければ暑いなり、寒ければ寒さを凌ぐなりの衣服も着ている。所謂、衣食住と言う人間の生活に欠かすことが出来ない生活形態は何不自由なく今まで過ごして来た。普段の生活の中で当たり前と思った時には何も気付かないのだろうが、ふと毎年、年末に1年を振り返ると妙にこの普通な生活に安堵感を感じている。

 かく言う私自身も特に最近時間の経過が早く感じられ、記憶自体はおろか記憶に定着する事柄があったのかさえ思い出せない位である。一般的にこの様な現象を「ジャネーの法則」と言い、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象だが、まさしく私も”年長者”に入ったのだろうと実感出来る。

 よく巷で ”1年を振り返って” とあるが、いざ振り返っても朧げな感じで、2年前から使用している老眼鏡を使ってみてもよく見えない・・・良い思い出は忘れ易く、嫌な思い出は記憶に残ると言うがどちらもほぼ無い。いい意味で平均的な生温い生き方をしているのだろう。

 そんな中、ただ間違いなく自分の生活に根ざしているものと言えば、自分が”クリスチャン”であると言うことだ。これは冒頭の”生を受けて”からにも合致する事で、自分の記憶や意思がないまま親がクリスチャンであったが為にスライド的に受け継がれていったのである。

 幼少期は特に感じていなかったが、小学校高学年から中学生頃の思春期において学校に自分以外同級生にクリスチャンがおらず、多感な時期、放課後にみんなと遊べず、シスター(修道女)からの呼び出しに依って教会で行われていた”おけいこ”と呼ばれる聖書の勉強会に参加していた。

 やがて中学校3年時に「堅信」と呼ばれる儀式があり、要はそこでの神父様からの聖書の質問を答えていき合格(教会では秘跡を受けると言う)する事で正式なキリスト教信者となる。不合格すると翌年も”おけいこ”の洗礼を受ける事になる為、学校のテストより気合!?(緊張)が入った。

 あえて堅信で合格したお陰で子供ながらに”お勤め”が終わったかの様な開放感になりその後暫くは教会からは距離を置いていた。
だが、時が経つにつれ日常で様々な出来事が増えていく様になると、何故か不思議と困った時には「神頼み」をしてしまう。

 そう言う時に「自分の神は誰か?」と問いかけると、やはり最初に思い付くのはカトリック全能の神”イエス・キリスト”であり、
子供の時にあんなに嫌々ながらに行っていた教会に何故か救いを求めて足を運ぶ様になるのである。然し乍ら物事過ぎれば何とやら・・・又、足が遠のき始めるのも時間の問題ではあった。

 教会へは、行っては行かないの繰り返しではあったが、特に今年は、世間的にも災害が多い年だった。御多分に洩れず私自身も例年に無く災害受難の多い年であった。特に自家用車への被害が連発し、修理代の増加で”自動車貧乏”にハマってしまう。カーディーラーの営業マンからは「お祓いに行った方が良いですよ〜」と何度も言われ、伝家の宝刀!ここぞとばかりに「神頼み」を走ったのである。

 さて、いざ行くとなると”キリスト教のお祓い”ってどうするの?と言うことになり先ずは文明の利器であるネットで調べてみた。
すると、カトリックの交通安全の神様に「聖クリストファー」(クリストフォロス)と人が出てくる。何とも心強い絵柄だ!
 早速、教会横のグッズショップ(マルチレスと言う)へ。するといかにも優しげな初老の方が”これしかない!”と言わんばかりにマグネットバッチを勧めてくれて購入。(メダイも合わせて購入しました。)

 購入した時に車が修理状態だったので修理から戻って来て早速、車と購入品を持って教会へ。
 祈りの後、車ドア全開の状態で聖水をかけて貰ったり、焼香をして貰ったりと至れり尽くせり。(このお祓いを”祝別”と言う)
 ここまでして貰ったらさぞかし”お祓い代”掛かるだろうと「恐る恐る」聞いてみたら、「いりません」との回答。・・・マジ。「これも仕事ですから」・・・と。・・・マジ。おおお! 神よ 貧しき子羊にお恵みを与えて下さった瞬間だった。

 子供の頃抱いでいた教会への変な距離感は払拭され、今では取り憑かれたように、ほぼ毎週教会で行われているミサに参列している。
子供の時に描いていた神は大人になって、やっとここ最近身近な存在に感じ取れるようになった。理由は何にせよ、
神頼みするのも悪くない!

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